インドネシア語について

インドネシア語は、インドネシアの公用語で、話者数は1億6500万人いると言われています。今回は、インドネシア語の歴史や言語の特徴について紹介します。

インドネシア語の歴史

インドネシア語は、7世紀にスマトラ東海岸およびマレー半島で広く使用されていたムラユ語(マレー語)が起源と言われています。ムラユ語は、当時商売が盛んだったSriwijaya王国を中心に共通語として、ジャワ語が話されている地域やカリマンタン島などに広まりました。さらに、15世紀のインドネシアにイスラム教徒の商売人によって広く普及しました。ムラユ語は、学習しやすく柔軟性があるという理由で共通語になりました。
ちなみにムラユ語(マレー語)は現在、マレーシアとシンガポールの国語、ブルネイの公用語で、マレーシア、シンガポール、プルネイの他にフィルピン南部、タイ南部などの東南アジアで広く話されています。

インドネシアは、かつてオランダ領でした。独立前のオランダ領東インド時代の頃に宗主国オランダからの独立を求める民族主義運動が行われていました。1928年10月27日・28日に開催された第二回インドネシア青年会議の青年の誓いで「インドネシア語という統一言語を使用する」と決議され、統一言語として採択されました。

以後、インドネシア語での言論・出版活動、民族主義運動などを通じて、本来スマトラ島のマラッカ海峡地域の言語であるムラユ語(マレー語)をベースとしたインドネシア語が、民族の言葉としての地位を確立していくことになりました。
1945年のインドネシア独立後は「インドネシアは多民族が共存する。どの民族が支配してもいけない。どの民族の言語(地方語)も国語になってはならない。ある民族の言語が国語になれば、その民族が国を支配するからである。」という政治思想が存在していたので、インドネシア語は正式に国語として憲法で定められ、整備されていきました。国語教育が初等教育過程に導入され、官庁用語もインドネシア語に統一されたとのことです。また、出版や放送メディアにおいてインドネシア語の使用を行うことで、言語の普及に大きな役割を果たしました。このような来歴をふりかえると、民族主義運動期から独立後の過程を経て、インドネシア語を母語とする人口が徐々に増えいったことがわかります。

インドネシア語の特徴について

インドネシア語は、英語と同じアルファベット26文字を使って構成されています。また、発音がローマ字読みなので、日本人にとっては馴染みやすく読みやすい傾向にあります。

文法は、英語と同じ語順で、「主語+動詞+目的語」と構成されます。私は(Saya)+食べる(makan)+ごはん(nasi)で、「私はごはんを食べます」になります。また、英語で言うところのbe動詞はありませんので、私は(Saya)+太郎(Tarou)だけで、「私は太郎です」と通じることが出来ます。

時制を表す過去形、未来形などの動詞の変化はありません。その代わりに、「今日」や「明日」「昨日」など時制を示す言葉を加えることで、過去や未来を表現することになります。

複数形もありません。複数を表すには同じ言葉を繰り返します。例えば、「人」は「orang」なので、「人々」は「orang-orang」となります。

このようにインドネシア語は非常にシンプルな文法ではありますが、義務や願望、ほぼ確定している未来形などを表現するための「助動詞」があります。

「~をしなければならない・しなくてはいけない」といった「義務」を表す「harus」、
「~したい・やりたい」といった「願望」を表す「ingin」、「~の予定です・~するつもりです」といった「ほぼ確定している未来形」には「akan」を使います。
例えば「私はご飯を食べたいです」は「Saya ingin makan nasi.」となります。

今回はインドネシア語について紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
plus connectionにはインドネシア語について熟知した通訳者と翻訳者が在籍しておりますので、インドネシア語のことでお困りのことがあればお気軽にお問い合わせください。